カーポート製作編 1 「2×4建築との出会い」
プロローグ
私が、DIYをはじめたきっかけは今から6年前、
自宅を新築したことがはじまりでした。
まずは、その時のことを振り返ってみます。
6年間勤めた某都市銀行が、経営破たんし、東京にいた私が、転職を余儀なくされました。
環境が悪化する金融関係の仕事は諦め、以前住んだことのある、 北海道の十勝に職を見つけ、移住してきました。十勝は、きれいな川に恵まれ、 カヌーをする私には、最高の楽園でした。転勤族から定住族になって、 一生ここで暮らしたいと思ったのです。
当時独身だった私ですが、良い縁に恵まれ、翌年結婚することになりました。
ちなみに、銀行が破綻した時、29歳だった私の貯蓄は、0円でした。20代は、自分への投資の時期と考え、 貯蓄よりもいろいろなことに挑戦するためにお金を使ってきたためです。唯一、90万円くらい積み立てていた銀行の持ち株会は、 1円も戻ってくることがなく、ただの紙切れと化した株券だけが送られてきました。 退職金も北海道までの引っ越し代で消えてしまう金額しかもらえませんでした。
そんな私が、節約に節約を重ね、1年で結婚費用の100万円を貯蓄し、 家も新築することになったのです。
泥棒に入られる!
私は、ホルンという楽器を演奏していまして、アパートでは、練習ができないので、1軒屋の古い借家を借りていました。 そこに何と泥棒が入ったのです。ある夏の日のことでした。
銀行員時代に貯めた、古銭のコレクションや切手のコレクションなどが全て盗まれてしまいました。警察の方は、「この家は、 泥棒が入りやすい家だからねぇ」と言っていました。障害物が多く、見通しが良くないので、泥棒がいても気付かれない、 込み入った造りだったのです。
この日以来、毎日、夜帰宅すると、泥棒が潜んでいるのではないかとビクビクするようになりました。
妻とも結婚の話をしだすようになってきたのと、
住宅金融公庫の金利が史上最低の2%だったこと、会社の先輩が、
いい土地があると教えてくれたことなどの条件が重なり、家を新築することに決めました。
結婚式の半年前のことです。
結婚式の準備よりも先に、新築に向けての作業がはじまりました。
資金繰り、住宅金融公庫への手続きは、元銀行員で、知識がありましたので、
お金がなくても何とかする術を知っていたので良かったですね。
さて、翌年、結婚式の1ヶ月前(3月)から基礎工事が始まり、7月下旬に完成しました。
全く、資金的に余裕がなかったので、家もお金をかけず、シンプルなものになりました。そして、
玄関先や庭の整備は、自分達でやらなくてはなりませんでした。
それでも、自分の家を持つというのは、とてもうれしいもので、何とか自分の力でオシャレにしてやるぞ!
と意気込んだものです。
元々私は、小さい時から、美術・技術・図画工作などの科目はオール5で、
物を作ることが好きでしたので、苦労というよりは、ワクワクする気持ちの方が大きかったのだと思います。
夜な夜な、庭の平面図を書いては、妻とあーしたい、
こーしたいと話をしたものです。
そんなある日、我が家の基礎の位置が、 頼んでおいた場所から南に1mずれていることが発覚! ただでさえ狭い庭が、 1mも狭くなってしまいました。
謝る業者が出してきた折中案は、基礎を壊してもう一度やり直すか、
カーポート製作の材料代無料と製作の手伝いをするというものでした。
早く泥棒の狙う借家から脱出したかったので、後者の選択をしました。
これが、結果的に良かったのだと思います。
家の新築が終盤にかかってきた頃、カーポートの製作がはじまりました。そして、
大工さんのすごさと2×4建築のあまりに合理的なことに感動しました。
大工さんに手伝ってもらって作った、
初めての大きなものがカーポートです。大工さんは、たった1日しか来てくれませんでしたが、
すごいスピードで、私の大工の概念を覆すものでした。
2×4ってこういうことなんだ!と気付くことができたのも、
丸1日大工さんと仕事ができたからだと思います。
いよいよ、 次回から実製作に入っていきます。